青春18きっぷ 旅行記  -香川→広島編-

土讃線 普通1248M 高松行
琴平 9:43

坂出 10:17
121系 乗車距離 22.7km
乗車区間平均速度 40.1km/h
琴平始発の高松行きでスタートです。
この電車、国鉄末期に地方閑散路線向けに作られた、一見新しいけど・・・?な電車です。
車体は確かに新造、当時最先端技術であったVVVFインバータ制御試作車の207系900番台と瓜二つのもの。
しかし、足回りはごくごく普通の105系の制御装置と101系の廃車発生品の台車を組み合わせた信頼性の高い、というか完全に一世代前のもの。
極限期にあった国鉄の苦渋の選択、みたいな。

MGがSIVに交換されていたり、手動のドアがボタン式になっていたりしたけど、前面方向幕は未だ手回し式だったり、トイレが付いていなかったりと、どこか古めかしい雰囲気を多く残しています。
途中駅での一コマ。
奥に2本しかいない虎の子6000系を2本とも確認できました。
予讃線から来た7000系2連。














瀬戸大橋線 快速マリンライナー24号 岡山行
坂出 10:57

岡山 11:35
223系5000番台+5000系 乗車距離 50.5km
乗車区間平均速度 79.7km/h
無限遠方までず〜っと続くかのような、運転席からの景色。
もうすぐ本州に帰還しまーす♪














山陽本線 普通355M 岩国行
岡山 11:42

広島 14:31
115系(40N体質改善車) 乗車距離 161.3km
乗車区間平均速度 57.3km/h
再び岡山駅に戻ってきて、ここから山陽本線を西に向かいます。
写っているのはJR四国のキハ2000(高速化対応車)とJR西日本のキハ47(体質改善車)。
乗車したのは広島運転所L-02、115系の40N施行車。
今回40N施行車は初乗車になります。
平屋根化ってこうなってるんですねぇ。
車端部です。
貫通扉も223系を意識したものに交換されています。
おや、サロンカーなにわが。
途中の福山駅にて。
比較的長時間停車のためドアは半自動。
瀬野八へ向けて足を進める。

が、外はあいにくの空模様のようだ。
広島直前の機関区で西の峠のシェルパEF67を確認。
なんであんなところにワンエイティが・・・
やっと広島到着・・・
長距離お疲れ様でした。。

電車はまだまだ先の、山口県岩国まで走り通します。














広島電鉄市内線
広島駅前

紙屋町東
3950系 乗車距離 わからんkm
乗車区間平均速度 そんな速くはないかなkm/h
都電、富山ポートラムは乗ったことあったけど、これほど大きな規模なのは初めて。
写っているのは3950系、市内線から宮島線に直通できる連接車。
広島を語るに外せないだろう、カープの市民球場。
戦後、精神面の復興に大きく貢献し、広島市民を力づけたと聞いたことがあります。













現在、戦争とは無縁の平穏な生活を送っている我々には、原爆投下という悲劇は事実でありながらも完全に過去のものとされてしまっているのだと、記念館を訪れて改めて感じました。

日本史や歴史の授業で、現代史の一出来事として原爆が投下されたことは誰もが知っている。
しかし、知っているつもりになっている。という方がふさわしい言い方かもしれない。




目の前に突きつけられた現実は、そんなもんじゃない。





『日本は唯一の原爆の被害を受けた国家である』
この言葉は今や2つの含みを持つ。
日本人とアメリカ人の認識の違い、と言い換えてもほぼ同義かもしれない。

そのどちらの認識も正誤の議論や批判の余地はない。
無論、どちらの主張も支持されるべき内容である。
原爆の恐ろしさを目の当たりにした市民と、その使用によって戦争が終結したと考えているアメリカ人とでは、そもそも視点が違うからである。
原爆を投下したことに対する被害の意識、謝罪の要求。
一方、戦争を始めたのは日本であり(『Remember Pearl Harbor』)、開発した新兵器を使うことに対して戦争という前提は一切の制限を受けない、という主張。


この議論は、決して合致することはない、平行線を辿る。












いろいろな感情が交錯するが、広島の地を歩くことでその景色を自分の目に焼き付けていく。
そして、その場面場面から、自分なりの解釈をまとめる手がかりが得られることを祈って。














ただ、紛れもなく言えることは、投下直後から急性症状や今も慢性症状で苦しめられた原爆被害者の一人ひとりに人生があったこと。
家族、絆、生活、思い出、そして生命。






考えられるだろうか。
亡くなられた方々には、その方々の人生があった。
総数何人が亡くなった、のではなく、その死者の数だけの人生を奪ってしまった。
自分に置き換えてみると、想像に難くない。
自分の家族、兄弟、友人、親族、知人に当てはめて考えると、原爆がどれほどのものを奪ったか。



収蔵されている体験記にも多数綴られていました。
今この瞬間、自分の母親を失うこと。火の手が上がって助けられなかった兄弟を見捨てざるを得なかったこと。

その思いを一生背負っていくこと。

僕も、言葉にしきれないほどの感情が溢れて、思わず目頭が熱くなりました。











『やすらかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから』







その悲しみを風化させぬよう、悲しみを伝えられる僕たちこそが、核の拡散と兵器利用に対し頑として反対できる意思を持つこと、その使命を果たすことがこの言葉に込められた真意だと思います。
戦争を経験していない若い世代こそ、核の恐怖、そして戦争の恐怖について今一度もう少し知っておくことが大事なんじゃないかな。


自分の大切なものが壊される戦争、それを思い浮かべることが出来れば、もう二度と肯定するような輩は現れないはずです。











広島電鉄市内線
日赤病院前

広島駅
5100系(Green mover MAX) 乗車距離 わからんkm
乗車区間平均速度 そんな速くはないかなkm/h
千田町のお好み焼き屋さん、『ひなた』で夕食。
前評判でここは!と狙いを絞っていった甲斐あり。美味かった♪

Green mover MAXこと5100系は、国産トラムだそうで!
先代の5000系は海外製のものでしたが、改良を重ね国産のみでバリアフリーを実現できた日本の技術力に脱帽です。



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