急行 能登

皆さん、能登という夜行列車をご存知ですか?
'02 icefitに来られる方の大半は、ご存じないかもしれません。


『急行 能登』
鉄道需要の減少によって、夜行の多くが削減されてしまった現在も、北陸-首都圏をつなぐ使命を担い走り続けている、由緒ある夜行列車です。
能登は過去、何度もダイヤを鞍替えを強いられ(妙高のダイヤ)、国鉄の分割民営化による分社化(現JR西日本と東日本)、挙句の果てに運転経路すらも寸断(横軽廃止)、運転区間(福井→金沢)の縮小もありました。

しかし、いずれの逆境も乗り越え現在まで生き永らえている、いわば座席夜行列車の最後の牙城ともいえる存在です。



さとちゃんは以前にもこの列車に乗ったことがありましたが、運よく再び乗る機会を得たので、ここに自分への記録も含め残しておこうと思います。


今後、貴重な記録、にならないことを願うばかりですが。


『急行 能登』の運行経路です。地図はJR西日本の公式ページから拝借しました。
現在は、上野から上越線経由で北陸金沢までを結んでいます。
以前、もうかれこれ10年近く前になりますが、信越本線の横川-軽井沢間(通称、横軽)がまだ廃止されていない頃は、上越線経由ではなく高崎から長野、直江津に至る経路で運行されていました。
信越本線経路の方が横軽という名所(難所?)も堪能できるし、運行距離、時間も短くていいんですが、長野新幹線の開通による横軽の廃止によって上越線回りになりました。
正式に変更される前にも、何度か上越線周りで運転されることはあったので、運行側としては特に問題もなかったのでしょう。

能登に使われる列車はJR西日本所属の489系という電車です。
実際はJR西日本の区間よりも東日本の区間の方が長く走るのですが。


電車の形式というのも、クルマ同様いろいろな意味が込められています。
この489系もその1つです。

末尾の9という番号は、前述の横軽で重要な意味を示します。



その重要な意味とやらの前に、軽〜く横軽の説明を。
横軽という区間、国内の粘着式(鉄製のレールと車輪のみによるadhesiveな運転方式)では登山電車を除き、もっとも急峻な区間でした。
その最大勾配は66.7‰(パーミルと読みます。%パーセントじゃないよ)。
この単位の意味するところは、1000m進むと66.7m上らなくてはいけない。ということです。




そう聞いても、これってどうなの?という気もしますよね。
1000mて言ったら1kmだし、それだけ長ければ66.7mなんて・・・とお考えの皆さんに、もう少し実感のわく分かりやすい説明を。

一般に主なJRの鉄道車両は、1両で約20mの長さを持ってます。
普段乗る山手線や、総武線、中央線の電車はいずれもこの長さで作られています。

ではこの66.7‰を1両分20mに換算するとどうなるでしょうか。
1000mの50分の1ですから、66.7を50で割ればいいですね。おおよそ1.3m強になります。
つまり、1両で見たときに前と後ろで1.3mもの高低差が生じるわけです。



・・・これって結構な勾配ですよね?
空き缶なんか転がってたら、すごい勢いで転がっていきますね。



というわけで、この区間を登り降りする列車には必ず、縁の下の力持ちことEF63という機関車が2両も付いて、後ろから押したり前をブロックしたりして行き来していました。





でもこれでは完全に機関車頼み、せっかく電車なんだから自前のモーターも使おうよ!そうすればもっと編成長く出来るんじゃない?
てことで登場したのが、9の番号。
以降、9は横軽の『協調運転対応車』の名を冠することになります。
この9の登場で、今までの9両から12両に飛躍的に輸送力が伸びました。
(当時は鉄道輸送全盛で、伸び続ける需要から今では想像も付かないほど長い編成が要求されました)




他に、9の仲間には169、189、489がいましたが、現在はその横軽もなくなってしまい、以降新製される電車には9の意味合いはなくなりました。。




と、横軽について長くなってしまいましたが、特殊装備をした489系もその任を解かれ、多くは廃車・解体になる中、この能登用編成(元白山用)だけは、夜行の能登運用のお陰で白羽の矢が立ったわけです。
国鉄、横軽族の残党、とも言えるかもしれません。



さてここからは当日乗った記録を主に載せていきます。
今回は定番の上野駅からではなく、逆方向の上り、金沢駅からスタートです。

北陸夜行列車の両雄顔合わせ。

このご時勢に、全く同一区間を数分差で雁行する稀有な存在です。
でも車両の所属は違っていて、手前の能登はJR西日本 金沢列車区。
かたや北陸は、JR東日本 尾久車両センター。

実は急行能登の方が、寝台特急北陸よりも速い。
というのはこの筋では有名なハナシ。
金沢に来てるのに、遠く上野行きなんて不思議な感覚です。
能登オリジナルの設備に、6号車ロビーカーがあります。
ソファもあって結構くつろげそうですね。

24時くらいで車内の蛍光灯が消されても、ここだけは煌々と明るさを放っています。
ふらっと来てみたら、すでに占拠されていたのでソファの座り心地を楽しめませんでした(^-^;
ちゃんと9が付いてます。
んでまた、自由席禁煙車の他に、わざわざ8号車のモハに乗車した理由もちゃんとあるんです(^-^)
MT54形モーターを子守唄にするにはここしかないだろうとww
こんな感じの車内。
えらく地味〜なモケットのシートですね。
最近の新型車両と比べると。

これはこれで、この旅には合うんですけどね♪

金沢を発車してすぐ、車内放送が始まります。

西日本お馴染みの鉄道唱歌のメロディに続いて、車掌さんが停車駅と到着時間を延々挙げていきます。
この放送が流れるときが、鉄道旅行でもっとも旅情誘われる瞬間ですね〜
遠くに行くんだなぁ。ていう何とも言えない感慨に浸れます。
終点が上野、なのでちょっと違和感ありますけどw

今回も、見事に連れを放っておいて、一人車窓を眺めつつ聞き入ってましたww
金沢 22:15 JR
西



津幡 22:24
石動 22:33
高岡 22:44
小杉 22:50
富山 22:59
滑川 23:12
魚津 23:19
黒部 23:25
入善 23:35
23:40
糸魚川 23:58
直江津 0:22 JR




高崎 4:05
熊谷 5:07
大宮 5:39
上野 6:05
(出発日基準 06/10/13 現在)
やはり金沢近郊区間では、下りの高崎までの区間同様こまめに停車しています。
数分毎に止まるので、眠るのにはちょっと不向きですね。
さとちゃんは、一応糸魚川までは起きてるつもりだったので全然構わなかったのですが。。

なんで糸魚川まで、と決めたかというと糸魚川を発車後、常磐線ユーザーには意外と良く知られている交直デッドセクションがあるからなんですね。
昔はその無電区間のために車内の電気が消えることで有名でしたが(突然の消灯にパニックになる客は他所からの客とわかる、など逸話がある)、今や新型電車では蓄電池でその分の電力供給はされるので乗客は気づかずに通過できちゃうようですね。
デッドセクションについてはこのページが非常に参考になります。詳しい・・・

能登号の489系はどちらかというと古い世代の分類に入りますが、この区間では減光された夜間灯の数を、更に減らして通過していました。

糸魚川に停車中。

停車中に日付が変わります。
意外とここまでの区間だけ利用する乗客も多いんですね。
止まるたびに降りる人の数に驚きました。
地域に根付いてるんですね。
これが夜行列車の醍醐味。
室内灯減光後のノスタルジックな車内です。
翌日が休日であったこともあり、結構乗車率は高かったです。
みな思い思いの格好で寝ていました。










空も白んでくる頃、深夜走り通してきた列車は大宮に到着します。
大宮到着まで深夜帯の車内放送は休止しているので、大宮が近づくと終点上野が近いことを知らされます。


終点の上野駅に到着した能登。
地平ホームはかつて北の玄関といわれた雰囲気を今も色濃く残しています。

早朝なので人は少ないですが、この静けさがまたいいですね。
肌寒い空気が、駅、街が目覚める夜明け前の1コマ1コマを引き立てます。
むき出しの連結器も無骨な500番台。
この装備も使われなくなって、10年近くなるのかと思うと隔世の感があります。



能登に続いて、金沢からずっと後を追ってきていた北陸も到着します。
この列車は金沢発車時とは機関車が変わっています。

この日はJR東日本長岡機関区のEF64 1031が牽引してきました。
新津からやら北長野への配給で、首都圏でもお馴染みになりましたね。



北陸に気を取られているうちに、489系能登はひっそりとホームから車庫に回送されていました。
日中、尾久で寝て過ごして、数本の間合い運用をこなしてから、その晩の下り能登で古巣の金沢に帰ります。







いろいろと思い入れの深い『夜行列車 能登』を、備忘録的な意味も込めて綴ってみました。
今やスローライフなんていう言葉が世間で脚光を浴びています。
飛行機や新幹線でひとっとびの旅の合間に、たまには各駅停車や夜行列車を使ってみるのも、それだけで新鮮じゃないでしょうか。
行き帰り、の旅路をゆったりと辿り味わうことで、旅情が一層かき立てられますよ。